最後かもしれないので全部話しておきたいブログ BY十都

どうも、十都です。あの十都もついに引退です。早いね。僕は文系なので高辻君の3倍くらい文章書きたいと思います。対抗心大事やね。

あと、このブログにコメント書かないと金縛りに会います。気をつけてください。最悪スパムでも大丈夫です。

僕はものすごいひねくれてるので、いいことばかり書くつもりはありません。負のオーラが漂う所はぜひ読み飛ばしてください。

水泳始めたのは小学生1年生から。バタフライまで一応合格もらってました。なんて事ない習い事の1つでした。個人メドレーの泳順を知らない状態でした。

中学生で水泳部に入り、そこではじめて体育会系の環境でスポーツを始めました。

先生くっそ怖いし、練習きついし、(人生で1番泳いでた)同期も性格悪い奴おるしで行きたくないと思った事しか無かったです。そんな中ですが、中学二年生の時自分から平泳ぎ専門を与えられ、最終的に県大会まで行けたのが嬉しくて、強烈な成功体験になりました。

高校の水泳部のスローガンは「たのしんどく」でした。当時よりも、大学生になった今、この考えは本当に大事だと考えています。水泳の練習も、それ以外にも、しんどいことはあります。どう捉えて向き合うかが大事です。僕は最後までこれが出来てませんでした。

大学編は次で詳しく書きたいと思いますが、

全国公での引退レースを終えた感想は、

「ここで勝負できる選手になりたかった」

カンカレ以降、心身のどちらかに限界が来ていたのでしょうか、自分の無意識は全国公に来れただけで満足してしまっていたのでしょうか。理由はわからないですが、予選落ちしたのは事実です。

「どうせ二流止まり」「センスや経験のある人には勝てない」「もっといい環境でやれれば」「もっと他にやらなきゃいけないことがあるんじゃないだろうか」「報われなかったらどうしよう」「なんで県大来たんやろ」「なんで高々部活ごときにここまで真剣になってるのか」

こんな事を考える事もありました。もしかしたら意外だったかもしれません。だからこそ、この部活の緩さというか、ゆとり?が許せなく思うこともありました。そのせいで大切な同期を失いました。後悔してもしきれません。

何でもっと自信もってやれなかったんだろう。強い選手になるために努力してきたはずだった自分を1番否定していたのも自分でした。

今ブログ読んでる後輩たちは、「ここまでが限界」なんて思わないでほしい。マイナスな意味に伝わりそうで怖いけれど、君らだったら、君ら次第でいくらでも伸びる。現在地を気にして、到達点が低くなるのなんてバカらしいじゃないですか。

自分自身、1年生の最初から、インカレに出たいって本気で思えて、行動して、周りの目なんて気にせずに、思い切りやれてたら、もっと強い自分に出会えていたと思います。

体育会系とか○○に人生を捧げる、人生をかけて○○をする、みたいな考え方、時代遅れかもしれません。それでも、努力することの価値は不変だと思っています。

自分がやってきた事については次回ブログにと思います。


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コメント: 3
  • #1

    らららら (月曜日, 15 8月 2022 22:28)

    心にグッときました

  • #2

    ららららら (火曜日, 16 8月 2022 13:46)

    物語ささります

  • #3

    らららららら (火曜日, 16 8月 2022 21:41)

    めっちゃええです